医療法人 仁泉会

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GHたろうの震災体験記

「帰ってもいいよと言えなかった」(崎鍬ヶ崎 30代 女性)

3月11日、田老のグループホームで勤務中に地震。当ホームの入所者様は9人。当日、職員は女性3人だったが、2人は昼休みで外出していた。強い揺れで立っているのも困難だったが、とっさに外に逃げようとする入所者様もいた。皆には「まだ揺れているから落ち着いて」と指示した。
本来なら介護老人保健施設に連絡して指示を仰ぎたかったが、電話も繋がらず、連絡手段が無かった。

グループホームたろう

初めは津波が来るとは思わなかったが、近所の人達も避難を始めていたので、念の為、避難しておこうかという軽い感じだった。余震があってもすぐ外に出られるように職員3人で入所者様を玄関先に移動させ、靴を履かせた。職員の1人は各部屋を回って上着や毛布等を集め、避難を開始した。
避難先の中学校の校庭には、中学生や近所の方、保育園の方々も来ていた。しばらく待機していたが、寒さをしのぐ為に建物へ移動しようとした時、近くで「津波が来たぞ!」という声がした。見ると近くの坂を津波と瓦礫が上がって来ていた。急いで入所者様と山に上がり、間一髪で助かった。数分遅れていたら危なかったと思う。

その後、避難所となっていた高台のお寺に行くと、避難者が数百人いた。お寺の中に入れてもらうと、診療所から患者や医療スタッフも避難していたので、入所者の体調チェックをして頂いた。 しばらくすると、避難所の近くで林野火災が発生。鎮火しなければ別の避難所へ移るように言われたが、入所者様が一緒では移動が困難であった。職員はどうしたらいいのか考えられず、途方に暮れた。結局、鎮火した事で移動する事はなかったが、また林野火災が発生するのではないかと、火災に対する不安を払拭する事は出来なかった。
入所者様は、認知症がある方々で、自分達が何故此処にいるのか理解出来ていなかった。一晩中「何で此処にいるの?」と聞かれては、「津波が来たんだよ」という問答を繰り返した。徘徊する入所者もいて常に職員が1人付いて目を離せない状態だった。近づいた人に暴言を吐き、怒り出す入所者様もいた。
車椅子を必要とする入所者様や、徘徊する入所者様もストレスが溜まり、興奮している状態の中で、津波警報が発令される度に高台への避難を余儀なくされていた為、それぞれが限界を迎えていた。 ラジオでは、大変な事が全国規模で起こっているとしか分からなかった。岩手県だけでないという事を知った時、何時までこの状態が続くのかと思った。様々な事が積み重なり、もう手一杯の状態だった。

様子を見に来てくれた方に頼んで、介護老人保健施設に職員と入所者様の無事を伝えて頂いた。
無事が伝わると、すぐ送迎車を回してくれたが、道が瓦礫で塞がっていた為、途中までしか来られなかった。距離が長く、足場が悪い線路を送迎車まで歩き、自力では歩く事も困難な入所者様は、自衛隊の方々が担架で運んでくれた。
ようやく介護老人保健施設に着き、他の職員の顔を見たら涙が止まらなかった。1日だけだったがとても長く感じられた。夜が本当に長くて、いつ朝が来るのだろうと思った。

避難する時は一生懸命だった為、さほど大変という思いは無かったが、避難後が大変だった。入所者様は、誰一人津波が来た事を覚えておらず、理解出来ない。同じ事を何度も繰り返し、周囲からの視線も気になった。
震災前の大津波警報で、持てる物(毛布、カルテ、記録等)は持って避難しようと決めていた為、今回避難した際は、トイレットペーパーやごみ袋、リハビリパンツ等も持って避難した。避難路も訓練等で確認していた為、要領良く避難する事が出来たと思う。

地元の職員の存在が大きかったが、職員の自宅も被災していた。林野火災の為、お寺に避難して来た方々の中に職員の家族もいた。小さい子供もいた為、本当は傍にいさせてあげたかったが、職員が欠けると入所者を見守れなくなる為、「帰ってもいいよ」とは言えなかった。余震や警報が続く中、一緒にいさせられず、大変申し訳なく思った。
精神的にかなり負担が大きかったが、途中で投げ出す訳にもいかず、職員3人で協力し、乗り越えるしかなかった。あの日は本当に長い夜だった。

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